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あの歌に逢いたくて YUI「TOKYO」
読売新聞朝刊(2010年2月16日掲載)
100216読売新聞朝刊
 「こりゃ怒られる」。そう直感した2人は、慌てて最終選考の会場を抜けだし、飛行機に飛び乗った。みんなマイクの前に立ったのに、いつもの路上のようにあぐらをかいて歌った。規定までは2曲までしか歌えないのに、勢い余って3曲も歌ってしまった。  
 福岡空港に着くと、「音楽塾ヴォイス」(福岡市中央区)塾長の音楽プロデューサー・西尾芳彦さん(48)の携帯電話に何度も着信の履歴がある。東京のオーディションの担当者だ。西尾さんは恐る恐る電話をかけた。「どうして帰ったの。大評判だったんだから」  
 ?!合格したってことか。かたわらの女の子-あぐらの主-に告げる。「エーーッ!」。2004年2月のことだ。  
今をときめくYUIさん(22)(福岡県新宮町出身)が初めて西尾さんの塾を訪ねてきたのは、その1年前のこと。まだあどけない。楽器は何も弾けないという。だが、まなざしに力があった。  
 「でたらめなコードでもがむしゃらに歌い、スイッチが入った時の変わり方が尋常じゃない。間違うことを恐れない。この子は光ると直感した」と師は振り返る。  

 ビルの谷間を絶え間なく行き交う人々。ほとんどは関心を示さない。時折、立ち止まる人もいる。さる2月6日夜の福岡市・天神。「周囲を気にして歌っている時は、誰も止まってくれない。気にならなくなると、いつの間にか止まってくれてるんです」  
 渡辺美紗子さん(21)は、2年前から毎日、アコースティックギターを手に路上で歌い続ける。自分だけの〈ステージ〉に没入すれば、風の冷たさも意識の外へ消える。メジャーデビューが夢だ。  
 「まずは1年間以内に福岡で1番のバンドになる。それぐらいの覚悟でやりたい」  
 音楽を志す若者の〈夢〉は、今に始まったことではない。  

 チンドン屋コンクールで何度も日本一に輝いた足達英明さん(45)(福岡市南区)は、20代の頃、バンドに熱中した。ライブハウスはいつも満員だった。自信があった。東京へ出た。目の当たりにしたのはレベルの差だ。バンドブームも去る。帰ってきて、鍵盤ハーモニカを手に路上に出た。  
 「東京に行ったことで己を知ることができた」  かつて福岡の若者の拠点は昭和通りから北に延びる親不孝通り(現・親富孝通り)だった。ディスコや飲食店が並び、真夜中までにぎわった。繁華街の中心が移動するとともに、若者たちの場所も変わった。変わらなかったのは、彼らにとっての、〈トウキョウ〉の圧倒的な磁力だ。  

 YUIさんは05年2月にデビューした。「TOKYO」は、歌手を目指して上京する少女の揺れる胸の内をつづる。東京が与えてくれる夢と、古里への愛―。  
 「高校を辞めて地元を離れ、一人暮らしも初めて。やっぱり不安でいっぱいだったんだな」。「TOKYO」を聴くたびに西尾さんは、教え子の決断の裏にあった葛藤に思いをはせる。  
 「僕もヴォイスで曲作りを学びました。そこに独特の声を持った少女が入って来た。互いに曲を聴かせあったりしました。それがYUIでした」。警固公園前で歌う熊本出身の田中悠規典さん(29)はそう言った。高校卒業後、働きながら熊本市下通のアーケード街で歌っていたが、5年前、東京への道が近い福岡に移り住んだ。  
 10月には30歳になる。「春までに結果を出さなければ熊本に帰ります。両親との約束なんです」  
 YUIさんが歌ったように、〈正しいことばかり選べない〉。天神の夜空には、誰か聞いて、私の歌を―。そんな叫びにも似た歌声が響いてる。(森洋二)

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